ミドルキャリア世代の大きな悩みの1つが「セカンドキャリア」のキャリア形成です。

「今まで1社でしか働いたことがない」「自分の強みを理解せずにキャリアを築いてしまった」など、さまざまな理由から、次のキャリアへの一歩を踏み出すのが難しくなってしまう人も多いのではないでしょうか。

ミドルキャリア世代が自分の強みを活かし、人生100年時代の激動する時代を生き抜くには、会社に依存しない「キャリア自律」を実現し、主体的にキャリアを築いていく必要があります。

今回は、事業会社のエグゼクティブマネージャーとして活躍しながらも、複業をかけもちながらキャリアを築いてきた宮内俊樹さんを取材しました。

前職のヤフー時代には「Yahoo!天気」を生み出し、現在はディップにてディップ総合研究所の所長などを務める宮内さんは、どのような考えのもと、キャリアを築いてきたのでしょうか。ベースとなる価値観から複業のはじめ方まで、ミドルキャリアのキャリア構築を成功させる秘訣をお届けします。

宮内俊樹氏・・・ディップ株式会社 – ディップ総合研究所所長1967年生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社で15年間、雑誌編集者として勤務。2006年、ヤフー株式会社に入社。Yahoo!きっずやYahoo!ボランティアの企画担当を勤めたのち、2012年より社会貢献サービスの全体統括、大阪開発室本部長を歴任。Yahoo!天気や防災など、様々なサービスを統括。オリジナルメディア「Future Questions」の編集長を務めたのち、2020年からディップ株式会社へ転身し執行役員、ディップ総合研究所所長を歴任。パラレルキャリアとして株式会社フィラメントCCO、I-レジリエンスエバンジェリスト、京都芸術大学客員教授のほか、20代から音楽ライター・名小路浩志郎としても活動。

時代よりも5年遅れていたという会社員時代。支えたのはタモリさんの「飛び込む精神」

ファーストキャリアで出版社に入社した宮内さんですが、当時の自分を振り返ると「世の中をナメていた」といいます。紙の雑誌の編集者から一気にインターネットの最前線のヤフーへ。どのような葛藤があったのでしょうか。

ーー 宮内さんのこれまでのキャリアのステップを教えてください。

宮内:

当時を振り返ると世の中をすごくナメていた若者だったと思います。正直、「就活なんて面倒くさいなぁ」と思っていました(笑)

学生時代には出版社で記事を書くアルバイトをしていました。求人情報の紙媒体の雑誌で、冒頭のちょっとした記事を書く仕事です。就活がなかなか終わらない中、結局2〜3社しかまともに会社を受けていなかったんです。

そこで当時の編集長が「そのままうちにくる?」と声をかけてくれて、そのまま編集の仕事に就きました。

3年ほど過ごす中で、周りにいるのは本当に変わった人ばかりで(笑)。

例えば、昔あった雑誌で宝島社の『街の大爆笑百科バウ!』や『ビックリハウス』といった、読者の投稿でおもしろネタをいじって笑うような、YouTuberみたいな企画を雑誌でやっていました。

最初はサブカル系の雑誌や音楽雑誌の記事を書いていたんですが、その後はセゾンカードの会員誌で副編集長をやって、トータル15年間を編集者として過ごしました。インタビュー記事も書いていたので累計200人ほどの著名人に会いました。言えないネタで面白い話がたくさんあります(笑)。

編集者としてのキャリアは38歳まで続きました。その中で、別の角度で経験を積んだほうが仕事にも還元されると考え、転職のタイミングを見計らっていました。

紙の時代がそろそろしぼむと思ったので、次はインターネットの会社に転職することを決めました。そこでありがたいことにヤフーに内定をもらい、入社したんです。

入社してみると周りはインターネットに早くから触れている若手が多かったですね。自分は38歳でしたが、周りは30代前半の若手ばかりで周りから5年くらい遅れていると思いました。

ただ、年齢は下げられませんし、取り返すしかないです。何でもやってやろう、学んでしまおうという気持ちで過ごしていました。

ここでちょうど東日本大震災が起きたんです。当時はネット募金やボランティアなどの社会貢献サービスがあり、ヤフーにもYahoo!きっずのようなサービスがあります。それをまとめるマネージャに任命されたんです。

震えるようなチャンスが来たときには僕は「飛び込むこと」を決めています。突然本部長職を担うことになりました。

その後は大阪の開発本部の立ち上げを手がけて、Yahoo!天気の雨雲レーダーのアプリを作りました。乗換案内のアプリなども含めてアプリでヤフーがポジションを取っていくことに貢献しました。

役員が「こんなことをやってみたいな」というのを形にすることが使命でしたね。他にもメディアの立ち上げや災害の横断的な役割を担ってきました。

その後、ディップから声がかかり、今に至ります。


ーー ヤフーへの転職、そして責任感のある本部長職へ。トントンと進んでいくキャリアに恐怖心はありませんでしたか?

宮内:

僕は大きなチャンスを目の前にしたらガンガン飛び込んでいくタイプでは決してないんです。

でも、僕が大好きで父親のように思っている方が、タモリさんなんですけど…。彼の言葉にこんなものがあります。

「自分がここまでできるようになったら、次はこういう事をしようというイメージを作る。しかし、そのとおりの仕事は絶対来ない。ちょっとハードルがあるような仕事が来る。その時にひるんではだめだ。ひるまないことが人間としての成長を促す」と。

あのタモリさんがこれを言っていると思うと自分が飛び込まないわけにはいかないよなと思うんです。

ある程度の歳になると、今まで自分がやってきたことや、そこで得た誇りを信じていけば何かできるはずだと思えなくもないんです。そうやって恐れとか、自分がやって良いんだろうかという不安な気持ちを調整しますね。

ーー アプリの立ち上げのように0から1を作るというのは1番難しいことかと思います。やりきるために大事なことはありますか?

宮内:

耐える力はマストです。

アイデアを出すことは誰にでもできることだし、一番楽しい時間でもあります。ですがそれだけだとアイデアだけを出して何も成し遂げないただのイタい大人だと思うんです。

やり切るのは別の能力が必要だと思っていて、筋トレのように継続を習慣にすることが大事だと思っています。

例えば紙の雑誌だとスパイラルが早いので1ヶ月を耐え忍べば形になりますし、次が出版されます。でも、インターネットのサービスだと半年くらいかかるんです。それだけ時間をかけてスケジュールを計算して、作ってもリリースできないというのもよくあるんです。

それでも耐えることです。これも通常の習慣だと思って顔色変えずに続けられるかが大事だと思います。

大抵のことは失敗します。10個やったら2個できればいい。他の人の反応を見てフィードバックがもらえたり、新しい視点がもらえたりもするので、失敗自体はどうでもいいんです。

4つの仕事をかけ持つ宮内さん、ライターの仕事は23歳からずっと

編集者からキャリアをスタートさせ、ヤフーでインターネットの最先端を走り抜いてきた宮内さん。今は本業を含めて4つの仕事を行っています。まさにキャリア自律のお手本として、今の宮内さんの働き方を覗いてみましょう。

ーー 今、本業と並行してどのような仕事をしていますか?

宮内:

まず、オープンイノベーションの新規事業開発をコンサルティングする会社の文化づくりをしています。新しいことを生み出す会社なのでそのカルチャーづくりを伴走します。

2つ目は、I-レジリエンスという防災・減災のソリューションを提供する会社のエバンジェリストをしています。ヤフーで災害系のアプリに関わって培った能力があるのでその点で力になれると思っています。

また今年の春までは京都芸術大学の客員教授(2022年3月退任)としてSDGsを絡めながら企業と大学の関係を作っていく役割を担っていました。

一番長く続いているのは音楽ライターの仕事で、23歳からやっています。

他にはもっと小さい単位でいうとプロジェクトごとに走っているものもあります。

ーー 同じ24時間を過ごしているとは思えないくらいお忙しいですよね?

宮内

さすがにこれだけやると忙しいという自覚はあります。何が大変かというと脳がものすごく疲れますね。時間は土日を使ったりやりくりできるんですが、人間の脳ってあまり進化していない部分だと思うんです。

どんなに意識をしても脳細胞の一定の割合はワーキングメモリを使ってしまいます。例えばディップの仕事をしながら他の仕事のことを考えていると、同じようにワーキングメモリを専有します。それを4つもやっていると流石に脳に悪いかなと思います。

アイデアを出すときは常に考えているので日常的に思いつくことが多く、休む瞬間がないので体に悪いと気づいてきました。

なので考えないようにするのもひとつの手ですし、逆に考える時間をしっかり取るようにして隙間時間でやらないようにしています。

ちょこちょこ隙間でやって手を付けると終わっていないことが気になりますし生産性が下がるので時間を決めます。

あと、楽天大学の仲山進也さんが言っている加減乗除の法則の「割り算」ですね。本業の仕事で考えていたことが複業の仕事でも共通していて、一気に仕事が片付くということがあります。同じ自分が受けているそれぞれの仕事なので、意識していれば割れる仕事が見つかります。メタ認知できているかがポイントですね。

これができるようになると仕事が効率的に進みます。

スキルをかけ算し、かけ合わせた価値をマーケットに出してみる|キャリア形成の進め方

複業を進めていく中で、受けている仕事同士がつながったり、刺激になることがあり自分を成長させてくれます。自分にあった複業を成功させるためのポイントは何でしょうか。

ーー ファーストキャリアで培ったものがその後のキャリアに活かされているという自覚はありますか?

宮内:

0から何かを生み出すクリエイティブはどの業界でも変わらないものだと思っています。ただ基本的な知識が違うだけ。紙媒体からインターネット業界に変われば使われるツールも言葉も変わります。知らない知識に関してはとにかくメモをしてひたすら毎日覚えるのが基本です。

新しいことをするには勉強しなければいけません。学び直す時間が取れない大人も多いですが、僕は本を読むのが好きなので、それだけでも新しいインプットになります。

新しい会社に行くならば新参者として行くのも当然ですし、新しい勉強を始める時には自分は何も知らないんだとまっさらな状態でいることは大事だと思います。

ーー 複業などからセカンドキャリアを始めたい人は何を一歩目にしたら良いですか?

宮内:

すべての仕事に共通しているのは「自分」というだけ。

自分のスキルを棚卸しをして、価値になるかをマーケットに出してみると良いと思います。自分のスキルを棚卸すには、これまで仕事としてやってきたことを全部書き出して、どんなアウトプットになったら世の中の価値になるかを考えます。

僕の場合だったら、ヤフーの中で防災については一番詳しかったですし、かつプロダクトを作る側にいたので、この2つのセットが価値だったんです。防災に詳しい研究者は世の中にたくさんいますが、防災のことをわかっていて、それをサービスとして提供できる立場としては誰よりも先頭にいるだろうと思っています。

おすすめは自分のスキルを棚卸したら、スキルをかけ算して自分だけが抜きん出ている価値を探すことです。それを必要としている場所に売り込むことができたら、パラレルキャリアもうまくいくと思います。

ーー 複数の仕事をしている宮内さんが大事にしている価値観はなんですか?

宮内:

ひと言でいうと、「自分らしくあること」ですね。

自分にしかできない何かはなんだろうと常に考えて仕事をしています。

僕の経験談でいうと編集を長くやっていく中で、記事のタイトル1つをつけることでも誰がやっても同じというわけではないということに気づきました。ちょっとした工夫を僕が加えることで自分らしさというのは表現できます。

それが分かってからは人に言われた仕事でも自分らしさとはなにかを意識して、ちゃんと相手に刺さることを考えるようにしています。

重要なことが1つだけあって、終身雇用が崩壊して収入源を増やすために複業をするというのはたしかに安全ではあるのですが、お金のためにやるとだいたいうまくいかないということです。

まずはスキルのかけ算から生まれる「価値」を意識しましょう。価値があれば人が喜ぶのでお金を払ってもいいという人が生まれます。価値を作っていてもお金がもらえない場合もありますが、それでも相手に喜びを与えていることになります。それを感じ取れる能力は培わないと感じ取れないので、価値を生み出してさえいれば無給のボランティアだって良いと思います。

キャンプに行くことだっていいです。キャンプは上から指示があるわけでもないですよね。その場の適材適所で役割があり価値を生み出している。その価値を自分が自分で決めて感じ取れるかどうかが、パラレルキャリアの成功の秘訣ではないでしょうか。

おわりに

自分のやってきた経験や誇りから自分のスキルを棚卸し、かけ算をするとその人だけの付加価値が見えてきますね。

みなさんが持っている「価値」は誰を喜ばせるものでしょうか?

そこをはじめに考えることが新たなキャリア形成のスタートになりますね。ぜひ参考にしてみてください。